【衛生兵から医師に!】~ある兵士の物語

カンボジア


1人の衛生兵が、猛勉強の末に医大へ合格し現在は医師として歩みだしました。

彼が前回の記事でご紹介した、私が勤務していたカンボジアのクリニック勤務医です。

今回は彼の物語です。

出会い

彼の本名は Liheng Bouheang と言います。下の名前は何回聞いてもよく発音がわからないのでリヘインと呼んでいます。

10年以上前に初めてカンボジアに行った時は衛生兵として軍隊勤務をしており、軍が救急隊を運用するようになってからは彼も現場を走り回っていました。

衛生兵時代

初めの頃は顔が幼かったので「中学生」と呼んでいたのをよく覚えています。

しかし、そんな「中学生」が訓練では積極的でなんでも吸収してやろうという気持ちはピカイチでした。

ある日、炎天下で1時間のランニングをした際に30分経過で後ろを振り返ると、30名程度いた隊員のうち、脱落していなかったのは彼ともう一人だけだったということもありました。今はおなかも出てきたので、5分で脱落すると思いますが。。。

また、英語もこの時すでに堪能だったので、会話もよくしていました。もちろん下世話なお話が中心でした~。

初代理事長からの提案

訓練や日頃の仕事ぶりを見て、日本国際救急救助技術支援会の初代理事長が彼にある提案を持ち掛けました。

リヘイン医師と初代理事長

その内容というのは、もし医大に合格したら6年間の学費は私費で面倒をみるけどチャレンジする意思はあるか?というものでした。これに彼は即答で「Yes!」と答えたそうです。

彼にしてみれば、まるで夢のような提案です。カンボジアの一般的な家庭で育った彼にとっては医大なんて夢のまた夢。それを異国のややこしいおっさんがサポートしてくれるというのですから、チャレンジしない手はありません。

彼は合格にはある程度自信があったと思いますが、初代理事長は後で合格するとは思わなかった。。。と言ってました。

ともかく、彼はその後猛勉強の末に陸軍の医大にめでたく合格しました!

「O-DAN(オーダン)」より引用

当初は、初代理事長が単独でサポートするつもりだったようですが、その話を聞いた日本国際救急救助技術支援会の有志が資金を出し合い彼の卒業まで見守りました。

彼がずっとあきらめずに持っていた願望と、いいタイミングでのカンボジアの支援スタート、それに初代理事長のGIVERの精神がうまく作用し、目に見えないなにかしらの力が働いたような気がします。

これがマーフィーの法則や引き寄せの法則、宇宙の法則と呼ばれているものかもしれません。

願いはかなう!

合格後は軍務と勉学で毎日休む間もありませんでしたが、医大の学友も増えていきそれなりにキャンパスライフも満喫していたようです。

医大在学中

医大の仲間たち

夏休みを利用して、日本にも研修に来ました。兵庫医大救命センターと大阪の済生会野江病院救急でお世話になりました。関係者の皆さん、その節は大変お世話になりました!

兵庫医大
済生会野江

研修の合間には、観光も満喫していましたよ。

済生会野江は当時私の所轄管内にあったので、付き添いで私も医局で待機していました。

ちょっとウトウトしている隙にやられました。。。S水先生、どうせなら次は「肉」の文字でお願いしますね~。

そしてその間に、リヘイン医師は人生初のうな重を食らう!

学業が進むと知識も豊富となり、軍隊内では講師として救急隊員への教育も熱心に行ってくれました。

白版はもっときれいに消してね。。。

私がプノンペントヨタのご依頼で、地雷処理に関連し寄贈した救急車載資器材の取り扱い説明を使用する医師にした時にもサポートしてくれて、非常に心強い相棒でした。

現在

そして、あっという間に6年間は過ぎ無事最後の難関の医師国家試験も合格し、研修医としてクメールソビエト友好病院で勤務を開始しました。

医大に通い始めたのが他の学生より遅かったので、卒業を待ってすぐに彼は結婚しました。披露宴にお邪魔した時の写真が下です。新婦も軍隊勤務です。

あちらにもお色直しはあるようで何回も衣装を変えていました。

披露宴は普通は三日三晩続くそうですが、彼はまだ研修医だったので1日で終わりました。それでも朝から晩までなんでマジ長いっす。

まだまだ交通外傷が多く、脊損の割合が高いカンボジアで彼はその分野の専門性を極めたいという新しい願望を持っています。

かなり狭き門みたいですが、きっと彼なら自身の手でその願望を引き寄せてくれると信じています。

リヘイン先生、そっちに行ったときはまたよろしくね~!

プノンペンイオンモール1号店にて

なお、現在彼は軍を退役して医業に専念しています。

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