だれでも参加できる海外協力活動
消防士が途上国などに対して、直接なにか支援をしたいと思っても英語がぁ~とか、何か資格がぁ~とか考えてませんか?
結論から言うと、表題のとおりで誰でもできます!
今はSNSで世界中繋がっているので、世界のどこかの誰かと連絡を取り自身で計画して自費で実施すればOKです。もちろん英語が出来なくても、誰か通訳も雇えば解決です。
と、ここで話が終われば「なんじゃ、これゃ~っ」てなるので、実際私が参加している活動をご紹介いたします。
海外協力活動の種類
これには大きく分けて、いわゆる公金で実施するODA(Official Development Assistance「政府開発援助」)とそれ以外に分かれます。
大枠を図にするとこんな感じです。
図にしてもややこしいですね。
ODA:Official Development Assistance:政府開発援助
ODAはいろんな種類があり、関係者でないと図を見てもよくわからないと思いますが、右端にある【専門家派遣】や【研修員受け入れ】、そしてよく海外での大規模災害時にマスコミで取り上げられる【国際緊急援助隊】などは消防が関係する部分です。
無償資金協力及び有償資金協力は、【草の根】を除いていろんなややこしいプロセスを経て最後に閣議決定される必要があります。
【草の根】は投入される額は少ないですが、まさに草の根(草莽)レベルの支援で大使館やJICAの案件になり閣議決定は不要です。
蛇足ですが、ODAは長い目でみれば国益としてブーメランが返ってくることも含んで実施されています。
ODA以外
ODA以外で消防士が海外協力する方法はアイデアの数だけあります。実際、海外で欧米の消防士が個人旅行で訪れた現地の消防署にアポイントなしに訪問して、救助のレクチャーを一通り実施後に個人装備品を置いて帰るっていうようなこともあります。
なかなかそこまでの行動力はちょっと。。。でも、やっぱりなんか活動をしたいって方にはこちら!
NPO法人「日本国際救急救助技術支援会」
NPO法人「日本国際救急救助技術支援会」は、消防士や医療関係者の他にも海外支援活動に強い気持ちをお持ちの一般社会人の方も参加しているいわゆるNPO団体です。
英語表記は”Japan International Paramedical Rescue Technical Cooperation Corps”となり通称JPRと呼ばれています。
2005年1月17日の設立以来「ひとりでも多くの生命を救いたい」を基本理念に、救急救助のシステムや技術の発展途上の国や地域に対して支援を実施しています。
ちなみにJPRもたった一人の消防士のボランティアから発展したNPOです。
では、私が参加したのは、ザンビアとインドネシア、それにカンボジアですのでその時の様子を少しご紹介します。
ザンビア
私の初めての海外支援は アフリカにあるザンビア共和国でした。
2005年2月に6名で既に第1回目の支援を実施していましたが、私は2006年11月の第2回目に参加しました。
日本~香港~南アフリカ~ザンビアと乗継時間を合わせて24時間でやっとこさ到着です。
第2回目は消防士(救命士含む)・看護師・医師・医大生・一般社会人からなる総勢16名のメンバーが参加しました。
相手方参加機関も16省庁からなり、まさに国を挙げての一大イベントです。
長旅で疲れましたが、VIP待遇で通関も別ルートで移動時も白バイ先導など大変気を使っていただきやる気はマックスに達しました。
これらは訓練中の様子ですが、最終的には200名参加の大規模災害総合訓練で締めくくりました。
ここではちょっとした余談を。。。。
空港到着から現地のテレビ局取材がありましたが、その中にレポーターですごいキュートな女性を発見!
お名前をミレアムさんといいます。
あまりお話することはできませんでしたが最後の訓練の後、引き揚げる直前に私に駆け寄りハグしてくれました~!
その後、帰国してからしばらくスカイプでやり取りしていましたが、さすがに遠すぎて残念ながらそれ以上は進展しませんでした。
牛を3頭欲しがっていたことを今でもよく覚えてます。もう1人仲良くなった救急隊員の子も牛3頭くれって言ってましたので、なんかの基準かも?
最終日にはアフリカでの休日を満喫です。
左は、国立公園内の野生のキリンです。ここではゾウ、バッファロー、シマウマ、キリン、カモシカ、カバなどがいるそうですが、ライオンやヒョウはあまり見かけないようです。
真ん中は有名なビクトリアフォールズです。乾季だったので水量は少なかったですが箕面の滝の数百倍は迫力がありました。
右は最終日の宿です。室内には一切ドアがなく、トイレとシャワーのエリアとリビングの間にドアもなんも無くて他の隊員と二人で止まったのでちょっと気を使いました。
そして、ビクトリアフォールズのバンジー!
高さ100mで当時は世界一の高さでした。もちろん私も挑戦しましたが、落下時間は6秒ほどで爽快でしたよ~!
この時のツアーがきっかけで結婚したメンバーもいて、大変思い出深い支援活動となりました。
インドネシア
インドネシアの南カリマンタン州(ボルネオ島)バンジャルマシン市において、2008年の2月5月8月11月の計4回一次救命処置や外傷の病院前救護、救助法などを実施しました。
最終の11月にはここでも大規模災害対応訓練を実施しています。
2月の第1回目には日本のテレビ取材の同行があり、その様子が全国ネットで流れました。
そして、2009年4月からインドネシアのスラバヤ市においてバンジャルマシン市と同じ内容で技術支援開始。
スラバヤ市には2013年9月に、さらに大きな災害対応する戦略思想を各機関と共有目的にDIG(図上訓練)を実施しています。
こちらも、詳細についてはJPRのHPで確認できます。
カンボジア
そして、とうとうやってきましたカンボジア。
良くも悪くも、人生の分岐点の地です。
カンボジアには2009年から渡航を始めましたが、この年はインドネシアも参加していたので年間7、8回海外に行ってました。
基本的に渡航費、滞在費は自腹ですのでかなり無理をしていた時期です。
でも、他では得ることのできない経験を積み重ねることができ、まさに「地を読み、時を読み、天を仰ぐ」の人生決断3ステップのはじめの「地を読む」きっかけとなったところです。
支援対象は軍隊内の災害対応部隊だったので、訓練場所は駐屯地です。普通に戦車なんか置いてますし、隣では銃の分解組み立て訓練なんかもやっていました。
最初の頃は、それらが物珍しくて戦車に乗せてもらったり自動小銃を撃たせてもらったりも休憩時にさせてもらってました。
肝心の訓練ですが、これは初代理事長が中心となり実施しており現在も継続中です。
その初代理事長は消防を定年退職後、約10年間その駐屯地内に住み込みで教え続けていたので父親の様な存在です。
私は短期で30回ほど行きましたが、行くたびに隊のレベルアップと意識の向上を感じることができ、初代理事長の命がけの指導に感動して元気をもらっていました。
そんな訓練の思い出の中でも印象的なのが航空救助訓練です。
現役の航空救助隊員を2名日本から招聘し、手信号から始まり地上と機上の意思疎通方法、ロープの搭載方法、下の写真の様にはしご車先端からの模擬リペンリング降下等々を実施した後は実際に飛行中のヘリからのリペリング降下にと思ったのですが。。。。
そのヘリコプターが非常に古く、いくつかガラスのない窓があったり、ホイストのワイヤーがむっちゃ細いし、その先端の縛帯もボロボロで切れる寸前の状態で、パイロットの技量も未知数なことから離陸寸前まで、機内で最終チェックをしてから降りて地上から訓練の様子を見守ることにしました。
なんですが。。。
何の合図もなしに、ヘリが浮いてました。
もうそうなっては腹をくくるしかありません。っていうか私自身は初めてのヘリでのフライトだったのでワクワクでした。
幸いパイロットの腕もよく、指導に当たった航空救助隊員も絶賛するぐらいホバリングではピタッと止めてくれてました。後で聞いた話では彼が空軍のヘリパイロットのナンバー1だったようです。
地上にずらっと並んでいるのは映画でいつもやられ役のミグ戦闘機です。
カンボジアに関しては、10年以上の付き合いですので、ここでは収まりきらないので別記事でまた書きたいと思います。
その他の国
スリランカ
2006年2月に、9名のチームでスリランカ・ゴール市に於いて救急救助技術支援を実施。
参加した隊員の話では、訓練はうまくいったようですが現地のカースト制度の厳しさには困惑したそうです。
ドミニカ
ドミニカは、ある企業からの依頼案件で1名が渡航し当該企業がドミニカに納入した水難救助資器材の取り扱いについて指導しました。JPR初のアジア地域外支援でした!それにおもいっきりラテンの国、シャキーラのご近所なんで行きたかったな~。
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海外支援にご興味のある方は!
ここに挙げた他にもいくつかの国にもJPRとして支援をしています。そんなJPRですがザンビアセカンドシーズンなど現在新たな案件を数か国計画中です。
もし、これを読んでご興味をお持ちになれば、一度JPRのホームページをご覧ください。そして入会もお待ちしております!
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