アメリカの消防TVドラマでは、今では普通に大活躍しているアフリカ系アメリカ人消防士や警察官。
シカゴファイアーのボーデン署長、ステーション19のサリヴァン隊長、9-1-1: LA救命最前線のボビー隊長の奥さんのアシーナ巡査部長等々。
もちろんリアルな世界でも同様に多くの方が活躍しています。
しかし、そんな彼らも苦難の歴史があり、現在の地位を得たのはそんな昔のことではありません。
今回は彼らが現在の地位を得るまでのお話です。
アメリカの消防の歴史
まずは基礎となるアメリカ消防の歴史です。
$100札でおなじみのベンジャミン・フランクリンが1752年にフィラデルフィアで「フィラデルフィア火災保険会社」を設立し、その商品の一つ火災発生時の消火活動を支援するというものがあり、それがいわゆる「消防隊」のスタートだと言われています。
なので、もちろん契約先しか消火活動は実施していません。
自治体消防としては18世紀初頭、ボストン市に消火活動に携わる消防組織することを決定しましたが、市民が火事を消すために自発的に集まることを奨励するものでした。
19世紀になると、消防隊は多くの地方自治体により組織されるようになり多くの職業消防隊が設立され都市部で水道管を敷設されるなど、消防活動のためのインフラが整備されてきました。
19世紀
前述のようにアメリカの消防は、19世紀に入ってから公式に認められた職業となりました。しかし、この時代には、アフリカ系アメリカ人が消防士として働くことは非常にまれでした。
この頃大都市部で火事が発生することが非常に多かったため、多くの消防士が必要とされるようになりましたが、まだ奴隷制度の時代でありアフリカ系アメリカ人の多くは奴隷として働いている時代で、この時点ではアフリカ系アメリカ人消防士の割合は非常に限定的でした。
しかし、1865年に奴隷制度が終了すると、アフリカ系アメリカ人たちは、様々な職業に就く機会を得るようになり、最初のアフリカ系アメリカ人消防隊がニューオーリンズで設立されました。
日本では新選組の池田屋襲撃の翌年で幕府崩壊のカウントダウン真っ最中ですね。
1870年代に入ると、多くの都市でアフリカ系アメリカ人の消防組織が設立されるようになります。これらの消防組織はよく機能していたため地域社会にとって不可欠な存在となりました。
彼らの活躍が大きくなるほど、まだまだ差別意識が強い白人の消防士たちはアフリカ系アメリカ人の消防士に対して強い嫉妬心から、しばしば暴力事件を起こしています。
また、多くの都市ではアフリカ系アメリカ人の消防士たちは、白人より低賃金で働かされるという根本的な差別意識は続きます。
20世紀
アフリカ系アメリカ人の消防士たちは各地で偏見や差別にも負けず奮闘し続けましたが、1925年の時点でもニューヨーク市消防局は、アフリカ系アメリカ人の消防士に対して差別的な採用基準を導入しています。
アフリカ系アメリカ人の団体や市民権運動家たちはこの採用基準に反対し、より公正な採用基準を求め、人種に関係なく最も適任者が採用されるよう抗議を行いました。
1930年代には、全アメリカにアフリカ系アメリカ人の消防士の人数は増加しましたが、白人消防士とは別の部屋で寝泊まりすることが要求されたり、火災現場では危険な場所に優先配置されたり、職場での人種差別は依然として問題でした。
しかし、アフリカ系アメリカ人の消防士たちはプロの消防士として高い技術と知識を持ち、勤務することでその地位を確立していきます。
その時期に勃発した第二次世界大戦によりアフリカ系アメリカ人の消防士たちは、「United States War Labor Board(アメリカ合衆国戦時労働委員会)によって、火災の多い産業地帯や軍需工場で働くことを許可され新しい技術や訓練を学ぶことができ、より高い地位を獲得することが可能となります。
1960年代には、アフリカ系アメリカ人の市民権運動が盛んになり、消防士たちもその中心的な役割を果たします。
この運動は、アフリカ系アメリカ人の消防士たちが、より公正な採用基準や公正な労働環境を求め、1964年には公民権法が成立し人種差別が法的に禁止されるまでに至ります。
そして法律によって、アフリカ系アメリカ人の消防士たちは、職場での人種差別に立ち向かうために法的手段を用いることができるようになりました。
現在
現在アメリカの消防士は、人種や性別に関係なく適任者が採用されるようになっており、アメリカの消防士のうち約12%がアフリカ系アメリカ人で、全米におけるアフリカ系アメリカ人の比率とほぼ同じです。
アフリカ系アメリカ人の消防士たちは、消防組織の幹部にも多く見られるようになり強い結束力を持ち社会の安全と福祉のために、日々勇敢に働いています。
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