予防救急という戦略 ― DALYsとザンビア実践から考える

ザンビアで子どもに手洗い指導を行う日本人救急隊員(JPR) JPR
救命の最前線はICUだけではない。井戸の横にもある。

手洗いと安全な水は、派手ではない。しかし医療経済学的にも疫学的にも、 最も費用対効果の高い介入の一つである。本稿ではエビデンスと現地体験から 「0次救急」という概念を整理する。

なぜ感染症は救急の前に防げるのか

アフリカの学校で石けんを使って手を洗う子どもたち
手洗いは最もシンプルで、最も強力な医療介入の一つ。

救急医療は最後の砦である。私たちはショック、重症脱水、呼吸不全に対峙する。 しかし世界を俯瞰すると、救急搬送される前に防げたはずの疾患が、 いまなお子どもの命を奪っている。

5歳未満児死亡の主要因の一つは感染症である。 とくに下痢症は、脱水から循環不全へ進行し、 医療アクセスが限られる地域では致命的になり得る。

石けんを用いた適切な手洗いは、下痢症を約30〜40%減少させると報告されている 1。 30%という数字は小さくない。三人に一人の重症化を防げる可能性があるということだ。

これは高度医療機器ではない。新薬でもない。 石けんと水という極めて基本的な資源で達成可能な介入である。

DALYsで見る費用対効果

公衆衛生データと費用対効果を示すグラフ
エビデンスは、予防が合理的であることを示している。

DALYs(障害調整生命年)は、早死による損失年数と 障害を抱えて生きる年数を統合した健康損失指標である。

世界の疾病負担はGlobal Burden of Disease研究により体系的に評価されている 3。 感染症対策は単位費用あたりの回避DALYsが大きい。

ICU整備や救急体制強化は不可欠である。 しかし発生率そのものを下げる介入は、 医療経済学的に極めて合理的である。

医療が届く前に感染を減らすこと。 それは医療資源の節約であり、家計負担の軽減であり、 国家レベルの生産性維持でもある。

WASHという国際標準枠組み

WASH(Water, Sanitation, Hygiene)は、 水・衛生・手洗いを統合した国際的公衆衛生戦略である。

その進捗はWHOとUNICEFの共同モニタリングプログラム(JMP)により 評価されている2

焦点は文化ではない。環境である。 安全な水、衛生的な保管、石けんの常備、行動の習慣化。 これらが整えば、感染リスクは劇的に下がる。

ザンビアで感じたこと

ザンビアで素手で食事をする伝統的な家庭の風景
文化は問題ではない。環境が鍵である。

ザンビアを訪れた際、伝統的に素手で食事をする場面に出会った。 それ自体は驚くべきことではない。日本でも寿司やおにぎりは素手で食べる。

重要なのは「手」ではなく「水」である。 安全な水が安定供給され、石けんが常備され、 手洗いが習慣として根づいていれば、 素手であっても感染リスクは大きく抑えられる。

しかし水源が限られ、貯水管理が難しい地域では、 同じ行為が感染経路となり得る。 そこで確信したのは、救急を高度化する前に 環境を整えることの重要性である。

救急を強くすることは大切だ。 しかし感染を減らせば、そもそも救急は呼ばれない。

0次救急という概念

地域で衛生教育を行う救急隊員と井戸の風景
救命の最前線は、井戸の横にもある。

私はこれを「0次救急」と呼びたい。

火災で言えば、延焼してからの大量放水ではなく、 発火源管理である。

救急体制の高度化は1次・2次・3次の議論である。 しかし感染そのものを減らす介入は、 その前段階にある。

一番安い。しかし一番命を救う。 救命の最前線はICUだけではない。井戸の横にもある。


参考文献

  1. Curtis V, Cairncross S. Effect of washing hands with soap on diarrhoea risk in the community: a systematic review. Lancet Infect Dis. 2003.
  2. WHO/UNICEF Joint Monitoring Programme (JMP). Progress on household drinking water, sanitation and hygiene 2000–2022: Special focus on gender. 2023.
  3. Global Burden of Disease Study (IHME).

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