消防装備の進化「変わったもの・変わらなかったもの」①

救助

元消防士が振り返る消防装備の進化

大阪市消防局インスタグラムより

はじめに

なぜ今、この話を書くのか― 現役を離れて見えたこと ―

消防の世界に入ったのは昭和55年。今の若い消防士が見たら、信じられへん装備が当たり前の時代。
あれから四十年以上、消防・救助・救急の現場は、装備も考え方も大きく変わった。

現役の頃は正直、変化の渦中にいてるだけで、「これがどれだけ大きな進化なんか」なんて、立ち止まって考える余裕はなかった。

呼吸器は重いのが当たり前、防火服は暑くて動きにくいのが普通。救助器具も、救急の資機材も、「今あるもんで何とかする」しかなかった。

だけど、現役を離れてから改めて振り返ると、本当に変わったものと、実は昔から変わってないものが、よく見えるようになってきた。

消防隊なら、空気呼吸器、防火服、救助器具。救急隊なら、人工呼吸器、半自動式除細動器、機械式胸骨圧迫装置。

どれも「装備の進化」だけど、その裏には必ず「現場で命をつないできた失敗と工夫の積み重ね」がある。

今はもう、最前線でホースを持ったり、CPRをリアルにする立場ではないけど、現場を知ってる人間として残せる言葉はあると思ってる。

これは最新装備のカタログ紹介でも、「昔はしんどかった自慢」でもない。これから消防士になる人、今まさに現場に立ってる人、そして消防を外から見る人に向けて、「何が変わって、何が変わらず大事やったのか」それを、現場目線で残しておきたい。

そんな思いから、この文章を書き始めた。現場で命をつないできた装備の話を、現場を知る言葉で残すために…。

第1章 あの頃の消防装備 

―重さ・暑さ・不自由さが当たり前だった時代―

昭和55年当時は、装備も知識も、今とは比べものにならないほど手探りの時代だった。防火服は分厚くゴワゴワで、新人は退職者のお古を使うのが普通で、すでに汗やいろんなにおいが染みついている。でも「守ってくれたらそれで十分」それが装備に求める、唯一の価値の時代。

空気呼吸器は、ハンガーが人間工学を一切考えていない構造で背負えば肩に食い込み、走ればバランスを取るのに必死になる。残圧計を気にしながらの活動は、今みたいに“数字で管理する安全”とはほど遠い世界。

出動がかかる。サイレンが鳴ると、全員が一斉に動く。
現在のように現場に到着するまでに車内で各隊の動向や消火栓位置、事前計画がわかる画面もなく、分厚いファイルを暗い車内で開き「いけるか」「いけます」そのやり取りだけで、現場へ向かう。

消防・救助資機材も、救急資機材も今ほど種類はない。自動人工呼吸器もなければ、AEDもない。
心停止の現場では、自分の手と判断力だけが頼り。

しかし、不思議なもので不自由だったからこそ、「どう動くか」「どこを守るか」「今、何を優先するか」それを自然に考えていた。

装備が少ない分、知恵と経験と覚悟で埋めるしかなかった。今はエビデンスがぁ~と。。。

もちろんエビデンス重視や今の装備を否定するつもりは、まったくない。むしろ、進化や研究は命を守ってきた。けど、あの頃の装備と現場を振り返ると、本当に変わったものと、ずっと変わらず現場に残っているものが、はっきり見えてくる。

今の装備を見れば、「昔は大変でしたね」で済ませることもできる。だが、あの時代を知る立場として、それだけでは終わらせたくない。

装備は進化した。しかし、炎の前に立つ覚悟、傷病者に手を伸ばす決断、仲間を信じる力は、今も昔も変わらない。

次章では、消防の現場を本当に変えた装備たちを取り上げる。その進化が、消防士を「強く」したのか、「守った」のか。

そして、何が変わらず残っているのか――それを、現場を知る一人として書き残していきたい。

次回予告(第2章)

次回|本当に変わった消防装備

空気呼吸器、防火服、救助器具。かつては「気合と根性」で使っていた装備が、いつの間にか「消防士を守るための装備」に変わっていった。

軽く便利になっただけではない。その進化は、現場で命を落とした仲間たちの経験と、生き残った者たちの試行錯誤の積み重ねだった。

第2章では、消防士の戦い方を静かに変えた装備の進化を、現場を知る一人の視点から振り返る。

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