
円安が良いのか、円高が良いのか。この問いは何度も繰り返されてきた。しかし本質は通貨の強弱そのものではない。国家にとって重要なのは、為替がどう動いても揺らがない産業構造を持てるかどうかである。円安は輸出企業や観光産業に追い風となるが、エネルギーや食料を輸入に依存する日本では生活コスト上昇につながりやすい。円高は輸入を楽にするが、輸出競争力を弱める可能性がある。為替の議論は常に表層であり、本質は「日本が何で稼ぐ国なのか」という問いに帰着する。
価格ではなく価値で選ばれる国へ
長期的に強い国とは、価格ではなく価値で選ばれる国である。技術、信頼性、標準化された運用体系によって代替困難な地位を築いた国は、為替変動の影響を相対化できる。かつての自動車産業はその典型であった。品質と信頼で選ばれた製品は、通貨の上下動を超えて契約を維持できた。では日本は次にどの分野でその位置を確立できるのか。
その候補として浮かび上がるのが、防災と防衛を軸とした安全保障関連産業である。日本は世界有数の災害多発国である。地震、台風、豪雨、津波、火山噴火。これらの経験は悲劇であると同時に、国家としての知的蓄積でもある。日本は混乱の中で秩序を構築する方法を、実践を通して磨いてきた。
CSCATTTという指揮統制の骨格
その骨格の一つがCSCATTTという指揮統制の枠組みである。Command and Controlから始まり、Safety、Communication、Assessment、Triage、Treatment、Transportへと続く構造は、災害現場での優先順位を明確化する設計思想である。この順序には意味がある。最初に置かれるCommand and Controlは、すべての基点である。指揮系統が曖昧であれば、どれほど優れた装備や人材がいても成果は分散する。善意は秩序の代替にはならない。
災害現場では情報が爆発的に増加する。無線が飛び交い、通報が殺到し、現場映像が流れ、病院受入状況が刻々と変わる。問題は情報不足ではなく、情報過多である。Communicationが破綻した瞬間、作戦は崩壊する。
Communicationをハイテクで強化する
ここにハイテクの役割がある。統合コマンドボードを構築し、ドローン映像、位置情報、患者情報、搬送状況、病院受入枠を一画面に集約する。さらに無線や通話をリアルタイムで文字化し、重要事項を抽出するAI要約を導入する。通信の冗長化を図り、地上回線が途絶してもメッシュ通信や衛星通信で最低限の指揮機能を維持する。Commandは通信がなければ成立しない。通信は贅沢ではなく生命線である。
ここまで体系化すれば、防災は単なる装備販売ではなく運用思想の輸出へと進化する。教育、訓練、評価基準、データ仕様を統合し、パッケージとして提供できれば、導入国は機器だけでなく秩序設計そのものを導入することになる。標準を握ることは価格競争から脱することであり、為替の影響を相対化することである。
防衛産業というもう一つの軸
もう一つの軸が防衛産業である。近年、経済安全保障の観点から防衛産業基盤の強化と装備品輸出の拡大が議論されている。例えば、高市内閣は防衛産業の競争力強化や輸出推進を提唱してきた。防衛産業は材料工学、精密機械、通信、AI、宇宙技術などを統合する高度技術集約型産業である。
防衛装備は価格だけで選ばれる商品ではない。信頼性、性能、同盟関係、運用支援能力など複合的要素が重視される。一定の技術水準と信頼が確立されれば、為替変動の影響は限定的となる。ここに防災との共通項がある。両者は指揮統制、通信、信頼性という核心を共有している。
両輪戦略の深化と相乗効果
防災は平時のレジリエンスを高め、防衛は有事の抑止力を支える。一見すると異なる領域に見えるが、基盤技術は大きく重なっている。通信技術、センサー技術、無人機、データ統合、AI解析、衛星通信、暗号技術などは両分野に共通する。サプライチェーンも部分的に共有され、研究開発投資は相互に波及する。両輪として育成することで、単独では得られない相乗効果が生まれる。
さらに重要なのは人材と制度設計である。いかに優れた技術や枠組みを整備しても、それを運用する人材が育っていなければ実効性は生まれない。CSCATTTの思想は単なる理論ではなく、訓練と実践を通じて身体化されるべきものである。指揮官教育、統合訓練、データ共有訓練、越境連携訓練などを制度として組み込み、再現性を持たせることが必要である。これができて初めて「輸出可能なモデル」となる。
平時から機能する基盤
防災と防衛を結ぶ通信基盤は、平時から運用されていることが重要である。有事だけ使われる仕組みは維持されにくい。平時の災害対応、広域医療搬送、自治体間連携、国際共同訓練などで常時活用されることで、技術は洗練され、運用ノウハウが蓄積される。実運用の実績が国際的な信頼を生む。理論だけでは市場は動かない。実績こそが競争力である。
制度と透明性という競争力
国際展開を視野に入れるなら、法制度や輸出管理の整備も不可欠である。防衛装備の輸出は厳格なルールのもとで行われなければならず、その透明性と一貫性が信頼を生む。同様に、防災システムの輸出においてもデータ保護、通信セキュリティ、個人情報管理などの国際基準への適合が求められる。制度の成熟度そのものが商品価値となる。
倫理性と透明性は長期的な競争力である。価格が安いだけでは持続的な関係は築けない。国際社会において信頼される国家であることが、契約を継続させる土台となる。信頼は価格を超える価値であり、信頼こそが為替を超える競争力の源泉となる。
地域経済と産業基盤の強化
防災と防衛を両輪とする政策は大企業だけの話ではない。中小企業や地域産業も重要な役割を担う。高精度部品、特殊素材、電子制御技術、ソフトウェア開発、保守運用など、多層的なサプライチェーンが形成される。地域に根ざした企業が高度技術の一端を担うことで、地方経済の活性化にもつながる。
防災分野は自治体との連携が不可欠であり、地方創生との親和性が高い。地域特性に応じた防災システム導入や広域連携強化は、単なる災害対策を超えた地域インフラの高度化を意味する。平時の公共サービス向上にも寄与し、住民の安心感を高める効果がある。
研究開発投資の波及効果
防災と防衛への投資は単線的ではない。センサー、AI解析、無人機、衛星通信、量子暗号などの技術は民間産業へも広がる。軍民両用技術の発展は産業全体の技術水準を底上げする。技術の流動性が高まれば、新規産業の創出にも波及する。研究開発投資は費用ではなく将来への布石である。
為替を超える国家構造へ

この二つの産業を戦略的に育てることは、為替を超える国家構造を作ることである。円安は価格競争力を補助するが、円高であっても信頼と技術で選ばれる産業を持つことが本質である。為替は気象条件のようなものであり、本体のエンジンは秩序設計と技術基盤である。
円安か円高かという問いは短期的には意味を持つ。しかし長期的には、為替に依存しない構造を築けるかが核心である。防災におけるCSCATTT型指揮統制の高度化と、防衛産業の技術基盤強化と輸出拡大。この両輪を整備することは、日本を価格で選ばれる国から信頼で選ばれる国へ転換させる可能性を持つ。
為替の波に一喜一憂するのではなく、波の上に立てる船を造ること。秩序を設計する技術を磨き、標準化し、輸出する。防災と防衛を両輪とする構造転換こそが、円安でも円高でも揺らがない日本の基盤となり得る。

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