なぜ日本の救急隊員は真夏でも感染防止衣を着るのか?

真夏の交通事故現場で感染防止衣を着用する日本の救急隊員と、活動服で対応する米国EMS、次世代型感染防止衣の比較 COVID
感染防止衣を着用する日本の救急隊員と、活動服で対応する米国EMS。右下は暑熱対策を取り入れた次世代型感染防止衣のイメージ。

活動服で対応する米国EMSとの違いと、暑熱対策の可能性

はじめに

真夏の炎天下で発生した交通事故。救急隊員は長袖の活動服の上から、さらに長袖・長ズボン型の感染防止衣を着用し、ヘルメット、反射ベスト、手袋、マスクなどを装着して活動する。

傷病者を車内から救出し、ストレッチャーへ移し、救急車内へ収容するころには、感染防止衣の内部は汗でびっしょりになる。冷却用のアイスパックを装着していても、活動が長引けば冷たさは失われ、重さだけが身体に残る。

一方、米国の救急現場を見ると、救急隊員やパラメディックは、交通事故や外傷事案でも活動服のまま対応していることが多い。出血している傷病者に対しても、手袋は着用しているが、日本の感染防止衣に相当する長袖の防護衣や医療用ガウンを着ている場面はほとんど見られない。

この違いは、米国の救急隊員が感染対策を軽視しているからではない。日本と米国では、感染リスクに対する防護の組み立て方が異なるのである。

日本は、感染や汚染の可能性が判明する前から身体を覆う「常時バリア型」に近い。米国は、予想される血液・体液曝露に応じて必要なPPEを追加する「リスク評価型」に近い。

しかし、どちらか一方が完全に正しいわけではない。日本型は未知の感染リスクに強い一方で、真夏の暑熱負担が大きい。米国型は動きやすく暑熱負担も少ないが、PPEの着用判断が不十分であれば血液や体液への曝露を見逃す。

本稿では、この違いが生まれた背景を整理し、感染防止と熱中症防止を両立する次世代の救急用感染防止衣について考える。

1.日本では感染防止衣が「救急活動の基本装備」になっている

消防庁が2026年7月現在、公式サイトで公開している「救急隊の感染防止対策マニュアル Ver.2.1」は、PPEを選択する際には、血液・体液への曝露リスクを評価し、その活動に適した防護具を使用することを基本としている。

この点だけを見れば、米国と同じリスク評価型に思える。

しかし、感染防止衣に関する項目では、次のように明記されている。

救急活動時は感染防止衣を着用する。

さらに、血液や体液が飛散している、または飛散する可能性がある場合には、感染防止衣に加えてアームカバー、シューズカバー、ゴーグルまたはフェイスシールドなどを着用するとされている。[1]

つまり、日本の標準的な考え方は二段階である。

まず、通常の救急活動でも感染防止衣を着る。その上で、出血、嘔吐、分泌物の飛散などが予想されるときには、さらに防護具を追加する。

これは「危険なときだけ感染防止衣を着る」というより、「感染防止衣を基本の外衣とし、危険度に応じて防護を上乗せする」方式である。

消防本部によって運用には違いがある

ただし、日本全国の消防本部が、すべて同じ着用基準で運用しているわけではない。

例えば、東京消防庁の服装規程では、感染防止衣は救急活動で感染のおそれがある場合に着用するとされ、活動状況から必要がないと認められる場合には、感染防止衣のズボンを省略できる規定もある。[2]

このほかにも、消防本部によって次のような違いが考えられる。

  • 上衣だけを着用するか、上下とも着用するか
  • 出場時から着用するか、現場到着後に判断するか
  • 夏季に着用基準を変更するか
  • 急病、外傷、転院搬送などで運用を分けるか
  • リユース型とディスポーザブル型をどう使い分けるか

したがって、「日本の全救急隊が、すべての事案で必ず上下の感染防止衣を着用している」と断定することはできない。

それでも、消防庁の標準マニュアルが「救急活動時は着用する」と示していることから、日本では感染防止衣が日常的な救急活動装備として広く定着していると考えてよい。

2.なぜ日本では最初から身体を覆うのか

現場へ着くまで、感染リスクが分からない

救急指令の段階で得られる情報は限られている。

「転倒」「意識障害」「腹痛」「交通事故」といった指令内容だけでは、次のような状況を事前に把握できないことがある。

  • 活動性出血がある
  • 傷病者が突然嘔吐する
  • 咳や喀痰が多い
  • 尿や便による汚染がある
  • 不穏状態で隊員に接触する
  • 自宅内が血液や排泄物で汚染されている
  • 感染症への罹患が後から判明する

日本の感染防止衣は、この「現場へ入るまで分からない」という不確実性を、最初から身体を覆うことで吸収している。

また、一律着用には組織管理上の利点もある。隊員個人の判断に任せるより、出場時の服装を統一した方が、着用忘れや判断のばらつきを抑えやすい。

この点は公的資料に直接示された導入理由ではないが、現在のマニュアル構成から考えられる制度上の合理性である。

感染症流行のたびに防護が積み重ねられた

日本における感染防止衣の着用は、新型コロナウイルス感染症だけを契機に始まったものではない。

国内の研究報告では、旧自治省消防庁が1988年から救急活動時の感染防止衣を推奨し、2003年のSARS流行後に多くの消防本部で導入が進み、2009年の新型インフルエンザ対策でも着用が改めて推奨された経緯が示されている。[3]

消防庁も、SARSや新型インフルエンザなどへの対応として、マスク、手袋、感染防止衣を使用した標準予防策の徹底を消防機関へ求めてきた。[4]

その後、新型コロナウイルス感染症への対応経験も反映され、現在のマニュアルVer.2.1へとつながっている。[1]

感染症危機が起こるたびに防護基準は強化される。一方、一度標準装備として定着した防護衣を「低リスク事案では着用しない」方向へ変更するには、新しい判断基準、教育、責任区分、装備配置などが必要になる。

日本の感染防止衣には、感染症対策の歴史が幾重にも縫い込まれているのである。

3.米国は活動服とPPEを明確に分けている

米国でも、血液や体液への曝露対策が軽視されているわけではない。

CDCの標準予防策では、すべての患者に対して感染リスクを考慮し、患者との接触内容や予想される曝露に応じて、手袋、ガウン、マスク、眼の防護具などを選択する。[8]

例えば、血液や体液へ手が触れる可能性があれば手袋を着用する。血液の飛沫が眼、鼻、口へ入る可能性があれば、マスクとゴーグルまたはフェイスシールドを使用する。衣服や皮膚まで汚染される可能性があればガウンなどを追加する。[8][9]

OSHAの血液媒介病原体基準では、一般的な制服、シャツ、ズボンなど、危険から身体を守る目的で設計されていない仕事着はPPEに含まれないと明記されている。[9]

米国では、次の区分が比較的明確である。

  • 活動服は通常の仕事着
  • 手袋は手の接触防止
  • ゴーグルやフェイスシールドは粘膜防護
  • ガウンやエプロンは身体と衣服の汚染防止
  • 呼吸用保護具は吸入曝露の防止

日本の感染防止衣は、仕事着の上に日常的に重ねる「準制服」のような位置づけになっている。一方、米国のガウンは、必要な処置や曝露場面に限って追加し、患者対応後に脱ぐ一時的なPPEとして扱われる。

この位置づけの違いが、現場の見た目を大きく変えている。

4.なぜ交通事故や流血現場でも米国ではガウンを見かけないのか

「血液がある」と「隊員の衣服まで汚染される」は別に評価される

米国の基準では、血液が現場に存在するだけで、直ちに全身を覆うガウンが必要になるわけではない。

OSHAは、ガウン、エプロンなどの種類や性能について、作業内容と予想される曝露の程度に応じて決定するとしている。[9]

例えば、四肢の裂創に対して手袋を着用し、ガーゼで圧迫止血するだけであれば、血液が手袋以外の部位へ飛散する可能性は低いと判断されることがある。

一方、次のような活動では、防護衣や眼の防護具を追加する合理性が高くなる。

  • 動脈性出血や大量出血
  • 喀血や吐血
  • 激しい嘔吐
  • 分娩
  • 吸引や気道処置
  • 不穏傷病者への身体的接触
  • 衣服や寝具全体が血液・体液で汚染されている状況

米国の考え方では、「出血している傷病者か」だけでなく、「どの程度、どの方向へ血液や体液が飛び、どこまで隊員が接触するか」が判断材料になる。

制度上の基準と現場での着用には差がある

もっとも、リスク評価の結果としてガウンが不要と判断されているだけではなく、本来使用すべき場面でもPPEが十分に使われていない可能性がある。

1995年に米国で297件の救急出場を観察した研究では、手袋は比較的使用されていた一方、ゴーグル、マスク、ガウンなどの使用は十分ではなかったと報告された。[11]

2014年に都市部の救急部へ到着したEMS隊員899人を観察した研究では、到着時に手袋を着用していたのは56.9%で、手指衛生や再使用資器材の消毒も十分ではなかった。[12] ただし、この研究は病院到着時の観察であり、現場活動中のすべての行動を直接評価したものではない。

NIOSHが2,664人のパラメディックを対象に行った全国調査では、22%が過去1年間に少なくとも1回の血液曝露を経験していた。調査は2002年から2003年に実施された古いものだが、米国EMSにおいて血液曝露が現実の職業リスクであることを示している。[13]

なお、交通事故現場におけるガウン着用率を、現在の米国全体で示した新しい全国統計は確認できなかった。最近のスコーピングレビューでも、EMSの感染対策に関する実地研究は限られており、現場活動そのものを直接観察したデータが不足していると指摘されている。[15]

したがって、次のように整理するのが正確である。

米国では制度上、予想される曝露に応じてガウンなどを使用することになっている。しかし実際の一般的な救急・外傷活動では手袋を中心とした対応が多く、ガウンなどの身体防護衣は限定的にしか使用されていないと考えられる。ただし、現在の全米における場面別着用率は十分に明らかになっていない。

ガウンが定着しにくい理由

交通事故現場でガウンが使用されにくい理由として、次の要因が考えられる。

第一に、米国の標準予防策では、日常的な感染対策の中心が手袋、手指衛生、鋭利物対策、眼の防護などに置かれている。

第二に、病院用のディスポーザブルガウンは、屋外の救急現場に必ずしも適していない。車内進入、狭所での救出、ガラスや金属片のある環境、ストレッチャー操作などでは、薄いガウンが破れたり、資器材へ引っ掛かったりする可能性がある。

第三に、交通事故では感染以外の危険も大きい。ヘルメット、反射ベスト、救助手袋、安全靴、防火衣や救助服など、衝撃、切創、交通、火災への防護が優先されることがある。

第四に、緊急性が高い場面では、追加PPEを着用する時間よりも、気道確保、止血、救出、搬送が優先されやすい。

第五に、PPEを追加するかどうかが現場隊員のリスク認識に左右されるため、教育、装備へのアクセス、組織文化によって着用率に差が出る可能性がある。

これらは一つの公的資料で因果関係が証明されたものではない。米国の制度、観察研究、救急現場の作業特性を踏まえた考察である。

5.日本型と米国型は、異なるリスクを受け入れている

日本型と米国型の感染防止対策比較

比較項目日本型の傾向米国型の傾向
通常時の服装活動服の上に感染防止衣を着用通常の活動服が基本
防護の基本思想常時バリア型リスク評価型
ガウン・防護衣救急活動時の基本装備に近い曝露が予想される場面で追加
外傷・流血現場感染防止衣を着た状態で対応手袋中心で対応する場面が多い
未知の感染リスク最初から身体を覆うため比較的強い初期のリスク評価を誤ると防護不足になる
暑熱負担大きい比較的小さい
動きやすさ重ね着により低下しやすい比較的高い
判断のばらつき一律着用なら少ない個人・組織の判断に左右されやすい
汚染後の処理交換、洗浄、消毒が必要ディスポPPEは脱衣・廃棄しやすい
二次汚染汚染衣を着続けると拡大する可能性適切に脱衣すれば抑えやすい
感染曝露の見落とし比較的少ないガウンや眼の防護を使わない場合に残る
熱中症リスク高温多湿下で上昇しやすい防護衣を着ない場面では比較的低い

日本型は、感染リスクを先回りして防ぐ。その代わり、隊員は重ね着による暑熱負担を引き受ける。

米国型は、必要な部位だけを必要な時間だけ守る。その代わり、リスク評価を誤った場合やPPEが適切に使用されなかった場合には、血液や体液への曝露が起こり得る。

日本が過剰で米国が合理的なのでも、米国が無防備で日本が安全なのでもない。両者は、安全上の振り子を異なる側へ振っている。

6.感染防止衣の中では、身体の放熱機構が働きにくくなる

人の身体は、皮膚表面から汗を蒸発させることで熱を逃がしている。

しかし、透湿性の低い衣服を重ねると、衣服内の湿度が高まり、汗が蒸発しにくくなる。汗を多くかいても、それが皮膚上や衣服内に残れば、十分な放熱につながらない。

NIOSHは、防水エプロン、医療用ガウン、マスク、フェイスシールド、手袋などのPPEについて、発汗などによる身体の放熱を妨げ、衣服内に熱と湿気を保持し、重量によって作業負荷を増やすと説明している。[14]

同じ環境でも、PPEの種類によっては深部体温がより早く上昇するため、着用時間、作業強度、体力、水分状態、暑熱順化、気温、湿度、日射、風速を含めて作業と休息を設計する必要がある。[14]

救急活動では、単に立っているだけではない。

  • 傷病者を持ち上げる
  • ストレッチャーを操作する
  • 階段を上り下りする
  • 胸骨圧迫を行う
  • 狭い室内や車内で中腰姿勢を続ける
  • 資器材を運搬する
  • 強い日射を受ける路上で活動する

こうした運動によって体内で発生する熱に、外気温、湿度、日射、感染防止衣による放熱阻害が重なる。

暑熱負担が進めば、心拍数の増加、脱水、疲労、集中力低下などが起こり、ストレッチャー操作、薬剤準備、情報聴取、処置判断などにも影響する可能性がある。

感染防止衣は隊員を病原体から守る。一方で、真夏には隊員自身を熱中症へ近づける装備にもなり得る。この二つの危険を、別々ではなく一体として管理しなければならない。

7.アイスパックは無意味ではないが、決定打でもない

アイスパック、PCM冷却材、冷却ベストなどには、皮膚温や暑熱感を一時的に低下させる効果が期待できる。

NIOSHも、空冷服、水冷服、冷却ベストなどを個人冷却システムとして位置づけ、休息時に冷却材や冷却装置を用いることで、深部体温の低下を促進できるとしている。[14]

したがって、「アイスパックには効果がない」と断定するのは適切ではない。

しかし、限界も明確である。

  • 冷却できる部位が限定される
  • 冷却効果の持続時間が限られる
  • 気温や活動量によって早く温まる
  • 冷却材の重量が身体負担になる
  • 厚みが増して動きにくくなる
  • 感染防止衣の内部にさらに層が増える
  • 交換用冷却材の保管と搬送が必要になる
  • 消毒や衛生管理が必要になる

NIOSHは、アイスベストは比較的安価である一方、温度を制御できず、実用に必要な時間だけ冷却状態を維持できない場合があるとしている。また、多くの個人冷却装置は重く、作業時には扱いにくいという問題を挙げている。[14]

高温多湿の日本では、体幹の一部を冷やしても、全身から出る汗の蒸発が阻害されたままであれば、暑熱負担全体を十分に解消できない。

適切な表現は次のとおりである。

アイスパックや冷却ベストには、一時的、局所的な冷却効果がある。しかし、感染防止衣によって生じる全身の暑熱負担を、それだけで解消することは難しい。

8.感染防止衣は身体のどこを守るべきか

次世代の感染防止衣を考える上で重要なのが、「身体のどこが実際に汚染されているのか」という視点である。

2021年に札幌市消防局、千葉市消防局、神戸市消防局を対象として行われた30日間の調査では、総出動件数22,171件に対し、感染防止衣の交換は1,574回であった。このうち、血液、吐物、飛沫などの実際の汚染を理由とする交換は124回だった。[3]

汚染は身体前面、とくに前腕部に多く、背面の汚染は非常に少なかった。研究では、両上肢が汚染箇所全体の67.9%を占めていた。[3]

この結果は、感染防止衣が不要であることを意味しない。

調査は3都市、各30日間に限定され、目視できる汚染による交換を中心に集計したものである。微量の汚染や、申告されなかった汚染まで把握したものではない。また、背面が常に安全であると証明したわけでもない。

それでも、前腕、胸腹部、大腿部前面など、傷病者へ接触しやすい部分を重点的に守り、接触しにくい背面では通気性を高めるという「クリティカルゾーン設計」には、科学的な根拠がある。

消防庁の研究でも、身体前面と腕部のバリア性能を高め、感染リスクが低い背面にメッシュやベンチレーションを設けた試作品が開発されている。[5]

9.暑さに強い感染防止衣は技術的に作れる

結論からいえば、技術的には可能である。

消防庁の令和3年度研究では、感染防止性能を維持しながら、透湿性、軽量性、伸縮性、背面換気を改善した感染防止衣が試作された。

リユース型では、従来品と比較して約40%の軽量化、縦方向10%・横方向20%の伸縮性が得られた。背面へベンチレーションを配置し、前面と前腕を重点的に防護する構造も試みられている。[5]

令和4年度には、全国13消防本部で社会実装研究が行われ、試作品は暑さ対策の主観評価で従来品より高く評価された。特に背面メッシュ型の評価が良好だった一方、着脱性、素材の強度、摩耗、洗浄・消毒によるバリア性能低下などの課題も確認された。[6]

つまり、「防護性能を上げるほど暑くなる」という関係は避けられない部分があるものの、素材と構造を工夫することで、その負担を小さくする余地は十分にある。

ただし、市販の空調服にファンを付けるだけでは、救急活動用として完成しない。


10.ファン付き感染防止衣は、すでに試作されている

消防庁の令和5年度研究では、ファンを利用した感染防止衣と、冷却性・作業性を高めた救急活動服のプロトタイプが作製された。[7]

着用試験では、ファンによる冷却効果を体感できることが確認された。また、ファンへフィルターを取り付けても、実験条件下では風速に大きな差が生じなかった。[7]

しかし、冷却効果以上に、救急活動上の課題が大きかった。

  • ファン音が聴診や会話を妨げる
  • バッテリーが重い
  • 狭い場所でファンが引っ掛かる
  • ファンが脱落する可能性がある
  • 背面ファンが運転席で背中に当たる
  • 反射ベストや携行資器材と干渉する
  • 姿勢によって首元からの空気流出が増える
  • 事案によってはファンを停止する必要がある

研究では、ファンの位置は背中より腰部が適していると評価された。また、2023年に63消防本部、救急隊員1,460人を対象に行われたアンケートでは、80%が活動服にストレッチ性の必要性を感じていた。[7]

この研究は、プロトタイプ作製まで完了したものの、当初想定された2年次の改良、総合評価、ガイドライン作成までは実施されていない。[7]

したがって、現状は「技術的に不可能」なのではない。

冷却する原理は成立しているが、救急現場専用品としての設計と検証がまだ完成していない。

という段階である。

11.救急専用感染防止システムの具体案

次世代装備は、一着の衣服にすべての機能を詰め込むのではなく、活動服、防護部分、送風、冷却、運用基準を組み合わせたシステムとして設計すべきである。

現在の問題点と技術的な解決策

現在の問題技術的な解決案
全身が同じ厚さ・防護性能前面・前腕を高バリア化するクリティカルゾーン設計
背中に熱がこもる背面、脇、肩甲骨周辺にベンチレーションを配置
衣服が重い軽量基布と薄型バリアフィルムを採用
動きにくい伸縮素材、立体裁断、関節部のマチ構造
ファンが背中に当たる左右腰部へ薄型遠心ブロワーを配置
ファンが引っ掛かる衣服内への埋め込みと柔軟な保護カバー
聴診できないワンタッチ聴診モードと自動再起動
バッテリーが重い小型化し、腰部左右へ重量を分散
外気を直接吸い込む交換式プレフィルターと粒子フィルター
洗浄しにくい電装品とフィルターを工具なしで取り外せる構造
冷却時間が短い送風と薄型PCM冷却材を組み合わせる
洗浄・消毒で劣化する洗浄回数を含むバリア性能の耐久試験を実施

重点的に防護する部位

高い耐血液・耐体液性能を持たせる部位は、次の範囲が中心になる。

  • 前腕
  • 胸部前面
  • 腹部前面
  • 大腿部前面
  • 膝周辺
  • 袖口
  • 前面ファスナー周辺

一方、通常活動で汚染頻度が低いと考えられる背面、脇、肩甲骨周辺には、透湿性の高い素材や、覆い付きのベンチレーションを配置する。

ただし、開放されたメッシュは血液や体液の飛散に対する防護性能が低い。大量出血、激しい嘔吐、分娩などでは、背面を含めて防護性能を高めた別の上衣を追加するなど、事案ごとの使い分けが必要である。

救急活動向け送風機構

ファンは背中へ大きく露出させず、左右の腰部に薄型の遠心ブロワーを配置する。

送られた空気は、衣服内の薄いダクトを通して、背部、腋窩、側胸部へ分散させる。ファンとバッテリーは、シートベルト、反射ベスト、無線機、救急資器材、ストレッチャー操作を妨げない位置に収める。

聴診時には、胸元の大きな物理スイッチを押すことで、30秒から90秒程度ファンを停止する。設定時間が経過すれば自動的に再起動する。

スマートフォン操作やタッチパネルではなく、手袋を着けたまま確実に押せるスイッチが適している。

フィルターは呼吸用保護具ではない

送風ファンへ粒子フィルターを取り付けることは技術的に可能である。

しかし、衣服内へ送る空気をろ過しても、隊員が吸い込む空気のすべてが浄化されるわけではない。首元、袖口、前開き部分から空気が漏れるため、ファン付き感染防止衣はN95マスクやPAPRの代わりにはならない。

また、一般的な粒子フィルターでは、有毒ガス、一酸化炭素、化学物質、車両火災の煙などを除去できない。

次の環境では、送風を停止するか、現場から退避し、危険物対応に適した呼吸用保護具を使用しなければならない。

  • 化学物質の漏えい
  • 有毒ガス
  • 火災の煙
  • 正体不明の粉じん
  • 酸素欠乏のおそれ
  • 高濃度の感染性エアロゾル環境

冷却材は少量を交換式にする

薄型PCM冷却材は、胸部全体を覆うのではなく、側胸部や背部の一部など、動作を妨げにくい位置へ限定して配置する。

冷却材を大量に装着すると、重さと厚みによって、かえって活動性が低下する。交換時刻を管理し、温まった冷却材を活動中ずっと背負い続けない仕組みも必要である。

12.現実的な完成形は「重ね方を変えられる装備」である

現実的な完成形は、次の組み合わせである。

軽量で速乾性の高い救急活動服

前腕と身体前面を重点的に防護する感染防止衣

背面や脇から熱を逃がす換気構造

左右腰部の低騒音送風ユニット

聴診時のワンタッチ停止機構

必要に応じて交換できる薄型冷却材

事案別に着用範囲を変更する運用基準

重要なのは、一着ですべての危険へ対応しようとしないことである。

完全密閉、最高水準の血液バリア、超軽量、無音、真夏でも快適、自由な関節運動、容易な洗濯、低価格、化学物質にも対応という条件を、同時に満たす衣服は現実的ではない。

場面に応じて防護を足したり外したりできる「モジュール型」の方が、感染対策と暑熱対策を両立しやすい。

13.感染防止衣だけでなく、着用基準も変える必要がある

どれほど優れた素材を開発しても、すべての事案で同じ衣服を同じ方法で着用すれば、過剰防護と防護不足の両方が起こる。

以下は、今後の検討に使用できる事案別PPEモデルの一例である。消防庁や各消防本部の現行基準ではなく、制度設計のための提案である。

事案別PPEレベルの例

レベル想定する事案基本装備
レベル1通常の低リスク活動、汚染が予想されない搬送軽量活動服、手袋、必要に応じたマスク、すぐ使用できる眼の防護具、前腕・前面の簡易防護
レベル2外傷、出血、嘔吐、失禁、体液汚染長袖耐液性防護衣、手袋、アームカバー、フェイスシールドまたはゴーグル、必要に応じてエプロン・シューズカバー
レベル3呼吸器感染症、エアロゾル発生処置N95マスクなどの呼吸用保護具、長袖ガウン、手袋、眼の防護、車内換気、搬送後の清拭・消毒

ただし、指令内容だけでリスクを完全に判定することはできない。

そのため、レベル1の装備で出場する場合でも、レベル2・3のPPEを救急車内の取り出しやすい位置へ配置し、現場到着後すぐに追加できることが条件になる。

また、出血、嘔吐、不穏などが活動中に発生した場合、隊員が途中でPPEを追加できるよう、役割分担と着用手順を事前に決めておく必要がある。

14.装備更新だけでは熱中症を防げない

感染防止衣を薄くし、ファンや冷却材を追加しても、活動時間と休息を管理しなければ熱中症は防げない。

暑熱環境では、次の対策を同時に行う必要がある。

  • 出場前からの水分・電解質補給
  • 救急車内と署所の確実な冷房
  • 活動後の感染防止衣の早期脱衣
  • 冷房された場所での休息
  • 冷却材や冷却タオルによる積極的冷却
  • 長時間活動時の隊員交代
  • 連続出場時の健康状態確認
  • WBGTや気温・湿度を踏まえた運用
  • 暑熱順化の状況を考慮した隊員管理
  • 冷却材とバッテリーの交換体制
  • めまい、頭痛、悪心、異常発汗などの早期申告

感染防止衣の改良は重要だが、衣服だけに解決を押しつけてはいけない。

真夏に全身を覆わせ、内部へアイスパックを入れ、「これで暑熱対策は済んだ」とするのでは不十分である。

まとめ

日本の救急隊員が真夏でも感染防止衣を着用する背景には、傷病者の感染情報や現場の汚染状況が分からない段階から、一定の防護水準を確保するという合理性がある。

また、SARS、新型インフルエンザ、新型コロナウイルス感染症などへの対応を通じて、感染防止衣は単なる医療用ガウンではなく、救急隊員の標準的な外衣に近い装備として定着した。

一方、米国では活動服を仕事着とし、血液や体液への曝露が予想される場面に応じて、手袋、眼の防護具、ガウンなどを追加する。制度としては合理的なリスク評価型だが、実際にはガウンや眼の防護具が十分に使用されない可能性があり、血液曝露の危険も残っている。

したがって、日本型を全面的に廃止して米国型へ移行すればよいわけではない。

必要なのは、

全身を常に同じ性能で覆う防護から、汚染されやすい部位を重点的に守り、事案に応じて防護を追加し、同時に身体の熱を逃がす防護への転換

である。

前腕と身体前面を高いバリア性能で守り、背面や脇では熱を逃がす。腰部の薄型送風ユニット、聴診時の停止機構、交換式の冷却材を組み合わせる。そして、事案ごとに着用範囲を変更する。

こうした感染防止衣は技術的に実現可能であり、消防庁の研究でも、その入口まではすでに示されている。

感染防止と熱中症防止は、どちらかを諦める二者択一ではない。

病原体から隊員を守ることも、暑熱から隊員を守ることも、同じ労働安全衛生の問題である。次世代の感染防止衣に必要なのは、より厚く身体を覆うことではなく、守る場所、熱を逃がす場所、使用する場面を科学的に選び直すことである。


参考文献・参考資料

[1] 総務省消防庁「救急隊の感染防止対策マニュアル Ver.2.1」
https://www.fdma.go.jp/mission/enrichment/prevention/items/counterplan021_kansenboushi_01.pdf

[2] 東京消防庁「東京消防庁服制規程」現行例規、2026年7月確認
https://www.reiki.metro.tokyo.lg.jp/reiki/reiki_honbun/g101RG00002254.html

[3] 佐々木広一ほか「救急活動時の感染防止衣の汚染状況に関する実態調査と接触感染防止策の検討」日本臨床救急医学会雑誌、25巻4号、2022年、644-650頁
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsem/25/4/25_644/_article/-char/ja

[4] 総務省消防庁「平成26年版 消防白書 救急業務を取り巻く課題」2014年
https://www.fdma.go.jp/publication/hakusho/h26/2/5/2138.html

[5] 総務省消防庁「感染防止能力・夏季における冷却性等に優れた能力を有する感染防止衣の開発」令和3年度研究成果報告、2021年度
https://www.fdma.go.jp/mission/develop/items/R3_seika_yunitika.pdf

[6] 総務省消防庁「感染防止性・夏季における冷却性等に優れた能力を有する感染防止衣の開発と適切な洗浄・消毒方法の研究」令和4年度研究成果報告、2022年度
https://www.fdma.go.jp/mission/develop/items/R4_seika_yunitika.pdf

[7] 総務省消防庁「冷却性・作業性等を向上させる送風機(ファン)を活用した感染防止衣、および救急活動服の研究開発」令和5年度研究成果報告、2023年度
https://www.fdma.go.jp/mission/develop/items/R5_seika_yunitika.pdf

[8] Centers for Disease Control and Prevention, “Fundamental Elements Needed to Prevent Transmission of Infectious Agents in Healthcare Settings”
https://www.cdc.gov/infection-control/hcp/isolation-precautions/prevention.html

[9] Occupational Safety and Health Administration, “29 CFR 1910.1030 Bloodborne Pathogens”
https://www.osha.gov/laws-regs/regulations/standardnumber/1910/1910.1030

[10] U.S. Department of Health and Human Services, “EMS Infectious Disease Playbook,” 2017
https://www.ems.gov/assets/ASPR-EMS-Infectious-Disease-Playbook-June-2017.pdf

[11] Eustis TC, Wright SW, Wrenn KD, et al. “Compliance With Recommendations for Universal Precautions Among Prehospital Providers.” Annals of Emergency Medicine, 1995;25:512-515.
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0196064495702687

[12] Bledsoe BE, et al. “EMS Provider Compliance with Infection Control Recommendations Is Suboptimal.” Prehospital Emergency Care, 2014;18:290-294.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24401023/

[13] National Institute for Occupational Safety and Health, “Preventing Exposures to Bloodborne Pathogens among Paramedics,” DHHS Publication No.2010-139, 2010
https://www.cdc.gov/niosh/docs/wp-solutions/2010-139/pdfs/2010-139.pdf

[14] National Institute for Occupational Safety and Health, “PPE Heat Burden,” updated July 15, 2026
https://www.cdc.gov/niosh/heat-stress/recommendations/ppe.html

[15] “Infection control practices among EMS providers in prehospital settings: a scoping review of compliance and barriers,” Antimicrobial Stewardship & Healthcare Epidemiology, 2025
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12538343/


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